はじめに
塩の歴史をたどってきた流れの先に、次の扉が見えてきた。
それは、古くから東アジアに広がっていた 「醤(ジャン)」という発酵の文化。
日本の醤油は突然生まれたわけではなく、
塩と発酵がゆっくり積み重なっていく中で形になっていった。
その途中にあるのが 魚醤(ぎょしょう)。
今回は、塩の文化から自然につながる“うま味の源流”として、魚醤の姿を見ていきたい。
■塩が発酵への道をひらいた
古い時代の塩は、ただ味をつけるためのものではなく、食べ物を守るための道具やった。
魚に塩をまぶすと、腐りやすい部分が落ち着いて、代わりにゆっくりと発酵が進んでいく。
この「塩が発酵をゆっくり育てる」という流れが、魚醤の始まりになった。
塩が安定して手に入るようになった地域ほど、発酵の文化が深まっていく。
魚醤は、その土地の塩と海が育てた味やと思う。
■東アジアに広がる“醤”という文化
魚醤は日本だけのものではなく、東アジアのあちこちで似たような発酵文化が育っていた。
- 中国には、魚や肉や穀物を使った多様な「醤」があった
- 朝鮮半島には塩辛の文化がある
- 東南アジアにはナンプラーやニョクマムがある
こうした広い流れの中で、日本にも自然と魚醤が根づいていった。

アミエビ塩辛 ナンプラー 豆醤イメージ
■地中海にもあった魚醤──古代ローマの「ガルム」
視野を少し広げると、魚醤の文化は東アジアだけやない。
地中海の古代ローマにも、ガルム(Garum) と呼ばれる魚醤があった。
小魚や内臓を塩と混ぜて壺に入れ、太陽の熱でゆっくり発酵させる。
上澄みの澄んだ液体が上質とされ、ローマ帝国のあちこちで使われていた。
東アジアと地中海。 まったく違う文化圏で、同じように「塩と魚が発酵を生む」
という答えにたどり着いているのが面白いところやと思う。

■日本の魚醤──海の恵みをそのまま閉じ込めた味
日本の魚醤は、地域によってまったく違う表情を持っている。
- いしる(能登):イカや魚の内臓を使う
- しょっつる(秋田):ハタハタを丸ごと発酵させる
- いかなご醤(瀬戸内):小魚文化がそのまま味になる
どれも、その土地の海と塩が育てた味。
魚醤は、昔の人にとって“海の旨味をぎゅっと凝縮したような存在”やったんやと思う。
■魚醤と醤油は、同じ流れの中で生まれた“兄弟”のような存在
よく誤解されるけれど、魚醤が醤油の直接の祖先というわけではない。
醤油は、大豆を使った「醤(ひしお)」がゆっくり形を変えていったものや。
魚醤と醤油は、同じ「醤」という大きな流れの中で、 それぞれ別の道を歩んで生まれた
“兄弟”みたいな存在やと思う。
おわりに
塩の歴史をたどっていくと、その先に魚醤という発酵の文化があった。
そしてそのさらに先に、いよいよ 日本の醤油の誕生が見えてくる。
次は、 大豆の醤(ひしお)から醤油へと形を変えていく日本独自の発酵の流れ を見ていきたい。


コメント