日本は昔から、塩づくりに向いていない国やった。 雨が多く、湿度が高く、台風も来る。
海水の塩分濃度も世界的に見て低い。 それでも日本人は工夫を重ねて、
藻塩、揚げ浜、入浜式と、 なんとか塩を作り続けてきた。
けれど近代に入ると、その“工夫”だけでは追いつかなくなる。
■ 近代:塩田の限界と工業化の波
明治〜昭和にかけて、日本は急速に工業化していく。 ガラス、紙、金属加工、化学工業──
これら全部に大量の塩が必要になった。
ところが日本の塩田は、天候に左右されすぎる。
雨が多い年は生産量が落ち、台風が来れば塩田が壊れる。 「安定供給」がどうしてもできない。
そこで政府は塩を国家管理(専売制)にして、
生産・価格・流通を全部コントロールするようになる。
しかし、それでも塩田では限界が見えていた。
■ 近代日本を支えた“外地の塩田”
当時の日本は、国内の塩田だけでは需要を満たせなかったため、
日本が統治していた朝鮮半島や台湾の塩田も重要な供給源になっていた。
- 朝鮮半島の西海岸は天日塩に向いた気候で、大規模な塩田があった
- 台湾南部はアジアでも有数の天日塩地帯として知られていた
こうした地域の塩が、日本の不足分を支えていた時期があった。
■ 終戦後:外地の塩田を失い、塩不足が深刻化
終戦によって、 日本はそれまで塩を補っていた外地の塩田を一気に失う。
- 国内の塩田は天候に左右される
- 工業化で塩需要は増え続ける
- 食卓用の塩も安定しない
「もう塩田では無理や」 これは誰の目にも明らかになっていった。
■ 1971年:塩田廃止 → 精製塩への完全移行
ここで日本は大きな決断をする。
1971年、全国の塩田を廃止し、 イオン交換膜法による精製塩へ完全移行。
これは日本の塩文化が“断絶”した瞬間でもある。
精製塩は
- 均質
- 大量生産
- 安価
- 工業に最適
というメリットがある一方で、 食用としては「味の物足りなさ」が残った。
それでも当時の日本にとっては、 安定供給が最優先やった。

■ 精製塩の時代と“味の物足りなさ”
970〜80年代、食卓に並ぶ塩はほぼ精製塩。 NaCl99%の“純粋な塩”やけど、
どこか味に深みが出にくい。
「昔の塩のほうが美味しかった」 「なんか料理がまとまらへん」
そんな声が全国で出始める。
日本人の舌は、 長い歴史の中で“天然塩の持つやわらかさ”を覚えていた。
■ 赤穂の塩・伯方の塩の登場
そこで登場したのが 再製塩。
- 海外の天日塩を輸入
- 日本の海水で溶かし直す
- 平釜で炊いて仕上げる
この方法で、 天然塩のミネラル感と日本の味覚に合う塩が復活した。
● 赤穂の塩
江戸時代から続く名産地の“復活”。

赤穂浪士のイメージ
● 伯方の塩
瀬戸内海沿岸は1806年ごろから塩田が広がり、 日本最大の塩産地として発展してきた地域。
塩田廃止で一度は途絶えたけれど、 その味や技術の系譜を、再製塩という形で現代に
蘇らせたのが伯方の塩。
精製塩の時代に、 日本人の舌が天然塩を呼び戻した瞬間やった。

■ 1997年:専売制廃止 → 塩文化の復活
そして1997年。 100年以上続いた塩の専売制がついに終わる。
世界中の塩が日本に入ってくるようになり、 国内でも天然塩づくりが自由にできる時代が始まった。
- フランスのゲランド
- イギリスのマルドン
- ヒマラヤ岩塩
- メキシコの天日塩
- 韓国の天日塩
さらに国内でも
- 平釜
- 天日+釜炊き
- 藻塩の再現
- 小規模生産者の塩づくり
が一気に広がる。
日本の塩文化は、 ここでようやく“復活”した。
■ 現代:塩を選ぶ時代へ
今の日本は、世界でも珍しい“塩の多様性大国”。
- 海水塩
- 再製塩
- 天日塩
- 平釜塩
- 藻塩
- 岩塩
- ご当地塩
精製塩の時代を経て、 日本人は再び“塩を選ぶ”時代に戻ってきた。
【まとめ】
日本は塩づくりに向かない国やったからこそ、 近代に精製塩へ振り切らざるを
得なかった。 しかし、伯方・赤穂の塩がその隙間を埋め、
1997年の専売制廃止で塩文化は復活した。

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