醤(ひしお)が液体になった日

食と体の関係
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■ 中国の「醤」が日本に渡ってきた

日本の醤油の始まりは、遠く中国の発酵文化からやって来た。

大豆や穀物を塩で発酵させた「醤(ジャン)」。

その文化が日本列島に渡ってきて、 湿度の高い気候と、山の水と、木桶の環境、

そして日本特有の麹菌と出会ったとき、 醤はゆっくりと、別の姿へと変わり始めた。

■ 醤が「ひしお」へと姿を変える

その姿が「ひしお」。 まだ液体でも固体でもない、 発酵の途中にあるような食べもの。

このひしおこそが、 味噌と醤油の“分岐点”になった存在やった。

■ 日本の木桶文化が、発酵を深く進めた

中国の発酵は、基本的に 陶器・甕(かめ)文化

密閉性が高く、温度が安定し、固体発酵が進みやすい。

一方、日本は 木桶文化

  • 杉や檜の木桶は“呼吸する”
  • 微生物が住みつく
  • 水分がゆっくり動く
  • 温度が緩やかに変化する

木桶はただの容器やなくて、 発酵が深く進むための環境そのものやった。

この違いが、ひしおの運命を変える。

■ 麹菌がたんぱく質をほどき、液体が生まれる

日本の麹菌は、酵素の力が強い。 大豆のたんぱく質をほどき、旨味を引き出し、

ひしおの中に、ゆっくりと“液体”を生み始める。

陶器では起きない現象が、木桶の中では起きる。

世界でも珍しい、大豆の液体発酵。 これが、醤油の始まり。

■ 魚醤とは別の発酵文化

日本には古くから魚醤もあった。 しょっつる、いしる、そして海の発酵文化。

けれど醤油のルーツはそこではない。 醤油は、豆の醤から生まれた“ひしおの系譜”。

魚醤とは別の道を歩んだ発酵文化やった。

■ 日本で魚醤が主流にならんかったのか?

魚醤が劣ってたからやなくて、 日本の気候や器や味覚が“豆の発酵”の方を

選んだのではないかな、と感じる。

湿度の高い土地では麹が育ちやすくて、 木桶は穀物の旨味を深める発酵に向いていて、

当時の日本では大豆が安定して手に入った。

それに、ふと思ったんやけど── 魚を魚醤にするより、塩漬けや干物にしたり、

小魚は干して乾物にする方が、当時の日本ではずっと合理的やったんやと思う。

海の保存文化がすでに強くて、魚を丸ごと発酵させる必要がなかった。

気候も、器も、食材も、保存の知恵も、 ぜんぶが 自然と豆の発酵の方へ流れていった。

そう思うと、日本の発酵文化は、自然に導かれた“流れ”やったんやなと感じる。

 

■ 醤油が日本人の味覚を形づくった

江戸に入ると、醤油は一気に日本の味の中心になる。

出汁と重なり、焼き物の香りを深め、

煮物の色を決め、 甘辛文化を形づくり、 日本人の味覚そのものを育てていった。

■ 発酵が育てた二つの道

中国の豆醤が日本に渡り、 ひしおという途中の発酵を経て、 固体は味噌へ、

液体は醤油へと分かれていった。

同じ発酵の器から生まれた、二つの旨味。

次は、この“固体の道”──味噌の世界をゆっくり辿っていきたい。

 

 

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