農業を辞めて大阪に戻ってきて、 少し時間が経った今になって、 あの2年4ヶ月で自分の中に何が残ったのかが、 ようやく見えてきた。
技術とか、知識とか、 そういう“わかりやすい成果”じゃない。
もっと静かで、 もっと身体に近いところに残っているもの。
今日は、その話。
廃棄レタスをどうにかできへんか、という小さな疑問から(コンポスト)
水耕栽培やから、本来は堆肥なんて必要なかった。 堆肥は“土を育てるためのもの”やけど、 うちの現場には土そのものがない。
でも、毎日のように出る廃棄レタスを見てるうちに、 「これ、ただ捨てるだけでええんかな」 という気持ちが少しずつ出てきた。
そんな時、YouTubeでたまたま 「生ごみを堆肥化して土に還す」 という動画を見た。
「堆肥ってこういう仕組みなんや」 「水耕やけど、堆肥化したら土に還せるんちゃう?」
そんな軽い興味から、 廃棄レタスを使って小さな実験を始めた。
ちょうどその頃、家では初めてぬか漬けを漬けてて、 ぬか床を混ぜながらふと思った。
「あれ?ぬか床とコンポストって、構造一緒やん」
どっちも“微生物の力で分解していく”世界。 農業の現場と家の台所が、 思わぬところでつながった瞬間やった。
堆肥を作る必要はなかったけど、 自然の仕組みを知りたくてやってみた実験。 でもそれが、農業の見方を少し変えてくれた。

よく見たら周囲の農地にもあった
いちご農園で聞いた言葉が、今も残っている
レタスとは違う現場の空気。 農家さんの覚悟。 作物に向き合う姿勢。
そこで言われた 「早めに決断してな」 という一言は、今でも心に残っている。
あの言葉は、 “農業を続けるかどうか”だけの話じゃなかった。
自分の条件、 自分の身体、 自分の未来。
全部をちゃんと見て、 自分で選べという意味やったんやと思う。
農業の魅力も、 厳しさも、 その両方を教えてくれた場所。

最後に振り返った時の一枚
花火が思い出させてくれる“身体の記憶”
農業をしていた頃の記憶って、 頭よりも身体の方に残っている。
朝の空気の冷たさ。 土の匂い。 季節の移ろい。 光の角度。
花火の写真を見ると、 なぜかその全部が一気に蘇る。
電気工事は“身体で覚える仕事”やと最初から分かっていた。 でも農業を始めた頃は、 YouTubeや本で構造を学べば、 経験の差はある程度埋められると思っていた。
けど、実際に現場に立ってみて気づいた。
構造を知ることと、身体で覚えることは全然違う。 そして、身体で覚えたことは、時間が経っても消えへん。
農業も電気工事も、 結局は“身体で覚える仕事”やった。
頭で理解するだけでは届かへん世界があって、 その世界に触れたからこそ、 今の自分の軸ができた。

農業は終わりじゃなく、未来につながる経験やった
農業は辞めた。 でも、それは否定じゃない。
むしろ、 あの2年4ヶ月があったからこそ、 今の自分の軸ができた。
自然のリズム、 身体の感覚、 人の覚悟、 微生物の世界、 季節の仕事。
全部が、 これからの働き方にも生きている。
農業は終わったんじゃなくて、 未来につながる“ひとつの経験”になった。


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