前回の記事では、ここ数年の流れをざっくり書いた。
でも読み返してみると、
「なんで私は大阪に帰ってきたんか」
その一番大事な部分がまだ弱かった気がする。
農業に携わった2年4ヶ月の間、 学びも出会いもあったし、 自分を見つめ直す時間もたっぷりあった。
けど、現実は甘くはなかった。
生活防衛費(使える貯金)は日に日に減っていく。
助成金は50歳までという年齢の壁がある。 農業を本業にするなら、
見知らぬ土地に根付く覚悟が必要になる。
そして、電気工事との両立は現実的に難しい。
どっちも肉体労働で、
どっちも“その土地”に縛られる仕事やから。
大阪に帰るたびに、 今まで築いてきた人間関係の深さを思い知らされた。
飲みの誘いも、仕事の依頼も、 全部大阪にあった。
その深さに飲み込まれないように、 帰り道で何度も心にしまい込んだ。
そんな中で、別の農家さんの現場にも入る機会があった。
レタス農園で知り合った方の紹介で、
いちごを育てている農家さんのところでも働かせてもらった。
そこで、農業を“生業として続けている人”の考え方や覚悟に触れた。
農業の未来はあるし、 魅力もある。
ただ、自分の条件とは噛み合わなかった。
その時に言われた
「早めに決断してな」
という言葉は、農業を続けるかどうか、自分の進む道を早めに決めた方がいいという意味だと。
その言葉が、ずっと心に残っていた。
結果として、そのいちご農園では4か月だけ働くことになった。 その期間が、自分の気持ちを固める大きなきっかけになった。
そして気づいた。 私には、電気工事という仕事に積み上げてきた経験値があるということ。 大阪には、その経験を必要としてくれる人たちがいるということ。
そしてもうひとつ。 電気工事という“ハードな本業”を続けていくなら、 副業まで肉体労働にしてしまうと、どうしても未来の選択肢が狭くなる。
だからこそ、時間に縛られず、隙間時間でできる“ソフトな働き方”もうひとつの軸として持っておく方が、 年齢を重ねても続けられるし、将来の幅も広がると感じた。
本業はハードに。 副業はソフトに。
この組み合わせなら、自分の未来が描ける。
だから私は、大阪に戻ると決めた。
ここから、もう一度自分の道をつくっていく。


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