“甘さは、もともと“特別な日の味”やった”

食と体の関係

正規油の話をきっかけに、 人はどんなときに、どんな食べ物を選んでしまうのか

そんなことを考えるようになった。

その流れで、もうひとつ気になることがあった。

身体に炎症が出やすい人ほど、 チョコなどの甘いお菓子を“習慣のように”食べている。

リウマチの人も、 筋肉に炎症が出やすい体質の人も、 話を聞いていくと、

甘いものが生活の中に自然と入り込んでいた。

「あれ、これも何かつながってるんちゃうか」

そんな小さな違和感が、 今回の“甘さの話”の入り口になった。

昔の人にとって、甘さはこんな“日常の味”やなかった。

今はコンビニに行けば、 いつでも甘いものが手に入る。 仕事の合間にも、家に帰ってからも、 気づけば手が伸びてしまう。

でも、ほんの少し前の時代まで、 甘さは“毎日の味”やなかった。

じゃあ、甘さっていつからこんなに身近になったんやろう。

果物の甘さは、自然のパッケージやった

太古の時代、甘さといえば果物だけやった。 糖も、ビタミンも、ミネラルも、食物繊維も、

全部ひとつのパッケージになってる。

脳はそこで学んだんやと思う。

「甘い=栄養がある」

この感覚は、今も身体の奥に残ってる。

蜂蜜は“神聖な甘さ”やった

そのあとに登場したのが蜂蜜。 けど、これは超レア。 薬として、儀式として、

特別な場面でしか使われへんかった。

庶民が気軽に食べられるようなもんやなかった。

砂糖が高級品やった理由

砂糖が作られ始めたのは、 サトウキビの汁を結晶化する技術が生まれてから。

でもサトウキビは、 暑い地域でしか育たへん。

栽培も加工も手間がかかって、 遠くから船で運ぶだけでもコストが跳ね上がった。

せやから砂糖は、長いあいだ“特別な調味料”のままやった。

貴族にとって砂糖は、 豊かさや格式を示すための特別な存在 やった。

宴の席では、甘いパスタや甘い肉料理が並んで、 その家の“格”をそっと伝えていた。

一方で庶民は、 祭りの日とか、誰かの祝い事とか、 そんな“ちょっと特別な日”にだけ

甘さを味わった。

甜菜(ビート)の登場で、甘さが日常に降りてきた

18世紀の終わり、戦争で砂糖が手に入らなくなったヨーロッパは、

寒い地域でも育つ甜菜から砂糖を作り始めた。

これが、甘さが“特別”から“日常”へ広がっていく ひとつの大きなきっかけ になった。

砂糖は少しずつ庶民の生活にも降りてきて、 甘さは毎日の食卓に近づいていった。

そして現代、甘さは“抽出”されるようになった

そして19世紀に入ると、 蒸気機関や大規模なプランテーションによって

砂糖は一気に大量生産されるようになった。

甘さは“特別な味”から、 ほんまの意味で“日常の味”になっていく。

そのあと、さらに時代が進むと 甘さだけが切り取られたような味 が生まれた。

人工甘味料の登場。

身体の進化はゆっくりのはずなのに、 食べ物だけが急に変わってしまった。

このスピードのズレが、 いまの“甘さとの付き合い方の難しさ”を生んでるんやと思う。

甘さの歴史をざっと振り返ると、こんな流れになる

① 太古〜古代:果物の甘さ(自然のパッケージ) ② 古代〜中世:蜂蜜(神聖な甘さ)

③ 中世〜近世:砂糖(サトウキビ由来の高級品) ④ 18世紀〜19世紀:甜菜糖(大衆化)

⑤ 19世紀~20世紀:砂糖の大量生産(甘さの日常化)⑥現代:人工甘味料(甘さの抽出)

甘さは、こうして“特別”から“日常”へ変わっていった。

そして、今の私たちへ

昔の人にとって甘いお菓子やデザートは、 いつも“特別な日の味”やった。

権力者は格式を示すために砂糖を使い、 庶民は、祭りの日とか、誰かの祝い事とか、

そんな“ちょっと特別な日”にだけ甘さを口にした。

甘さは、日常やなくて“ご褒美の味”やったんやと思う。

せやから、 私たちが自分へのご褒美に甘いものを食べるのは、 昔から続いてきた

自然な行為なんかもしれへん。

ただ、毎日じゃなくて、 “特別な日”に戻していくのもいいのかもしれない。

それだけで、

甘さとの付き合い方は、 もっと優しく、もっと健やかになるのではないかな。

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